新版 天守物語 (Bunkamuraオーチャードホール)

新版 天守物語
原作:泉鏡花
脚本・補綴:村上湛
総合監修:梅若六郎玄祥
演出:高橋正徳
公演期間:2014.4.23(大阪フェスティバルホール)、2014.4.26-4.27(Bunkamuraオーチャードホール)

出演:泉鏡花(三上博史)、
富姫(大空祐飛)、 近江之丞桃六(梅若六郎玄祥)、図書之助(須賀貴匡)、亀姫(中村梅丸)他

<あらすじ(といいますか、導入部分)>
播州姫路城の天守にすむという妖精夫人富姫の伝説を泉鏡花が戯曲にした作品。

白鷺城の天守閣の最上階には巨大な獅子頭があって、この獅子頭に守られるようにして魔界の者たちが住んでいた。
天守夫人の富姫が、猪苗代の城に住む妹の亀姫が遊びに来るというので土産に何をもたせるか思い巡らし、また腰元たちに秋の草花を釣り竿で釣らせているらせているところから物語が始まる。

4月26日(土)の昼公演を観劇。
オーチャードホールは初めて、コンサートホールだと思い込んでいたのでここで最初に舞台を観るとは思わなかった。
座席の配置が平たい、斜度がゆるいために正直なところ舞台は見辛かった。1階後方で中心に近い位置だと前席の方の座高が問題になる。舞台の真ん中が見えないと興を削がれますね。021.gif




(あらすじの続き)

到着した亀姫の手土産は猪苗代亀ヶ城の城主・武田門之助の生首だった。

魔界の住人たちは楽しそうに生首を愛で、富姫亀姫は手鞠を付いて無邪気に遊んでいるうちに亀姫が猪苗代へ帰る時が来た。
亀姫への土産として用意していた兜では生首に見劣りすると悩んだ富姫は、白鷺城の藩主・播磨守が鷹狩から帰ったところを見下ろし、鷹を手元におびき寄せると亀姫に贈った。

日が暮れ、獅子頭の前にひとり佇む富姫の前に、地上から灯りを手にした人間の男が天守閣に上がってきた。姫川図書之助と名乗った若者は鷹匠で、鷹を逃したことにより藩主の怒りに触れ、天守に鷹を探しに行くように命じられたという。
本来ならば命を奪うべき人間であったが、富姫は図書之助のまっすぐな心持ちに感心して天守に上がった証拠として兜を手渡すと、二度と来ないように言い含めて地上へ帰した。
ところが、藩主は図書之助が兜を盗んだと疑い彼を殺そうとしたので、図書之助は無実の罪で死ぬくらいなら富姫の手で殺して欲しいと天守閣へ戻って来た。そして追手の足音が近づいて来た。

富姫はすっかり図書之助に心を奪われて、それではここで共に生きましょうぞと抱き合うようにして獅子頭の後ろへ隠れた。
追手が獅子頭の目を槍でつついたため、富姫と図書之助の目が見えなくなり、進退窮まった富姫は亀姫からもらった生首を追手の前に投げ出した。生首が藩主の弟であることに気付いた追手は慌てふためいて地上へ下りていった。

目が見えない二人は抱き合い「千年百年にただ一度、たった一度の恋なのに」お互いの顔を見えないと嘆き悲しんでいるところに、獅子頭を彫った桃六が登場して獅子頭の目にノミを当てるとあら不思議、富姫と図書之助の目が開いてふたりは嬉しさのあまり固く抱き合うのだった。

能・歌舞伎・狂言・普通のストレートプレイの合わせ技という実験的な試みは、とても完成度が高かった。
すべてが違和感なく馴染んでいて、非常に美しい。
古典芸能はきちんとした型があるので安心していたしその通りだったが、ストレートプレイ部門がどんな感じなのか予想がつかない。先行した大阪公演の感想は「非常に美しかった」「前半が眠たくて死にそう」「泉鏡花(三上博史)の登場時間が短すぎる」がほとんどだったかな。

私は予習の成果で(本当か?)眠ることはなかったが、泉鏡花の役回りがもう少しあってよいと思う。舞台のどこかにいつも居て欲しかった、それだけが残念。

魔界の者たちには目を奪われた。
朱の盤坊(狂言:茂山逸平)舌長姥(歌舞伎:中村京蔵)の、老練でいながら弾けた演技がとにかく面白くて、なんであのシーンが眠たいのだろう、私にはわからない。海老反ったままうたた寝する舌長姥の腹筋に惚れてしまった。

猪苗代から遊びに来た亀姫(歌舞伎:中村梅丸)が、満艦飾のかんざしで飾り立てたいかにも歌舞伎のお姫様で愛らしい、しかし本物の女優に比べると(どってんこ)なのも良い。
腰元衆は年かさの(演出家:青井陽治)が歌舞伎とはひと味ちがう女形振りで目新しかった。若い腰元四人は宝塚畑からで、風莉じん、花瀬みずか、春風弥里、初姫さあや。目立ち過ぎないのに存在感がある。四人ひとしく所作が美しいのはさすが。

富姫(大空祐飛)は美しかった。特に立ち姿、特に最後の白絹の衣装で立った姿が圧倒的に美しかった。それに比べると座った姿は(女性ということもあって)ややこじんまり。和装では座高が低い(脚が長い)のは必ずしも有利ではない。
姫川図書之助(須賀貴匡)はまっすぐな人間の男という役割がよく出ていたと思う。富姫にしても、図書之助にしても、卓越した演技を求められている役ではなく、世事に疎く手垢にまみれていない、無垢であることが大事、それには十分過ぎるほどでした。見た目の体格差もちょうど良くて舞台映えしていたと思う。

彫師・近江之丞桃六(能楽:梅若六郎玄祥)は、大詰めで登場して傷つけられた獅子頭の目を修理して富姫と図書之助の目を開き、あっさりと大団円に至らせる役目。物足りないと感じたのは私だけじゃないと思う。(原作の戯曲でもその通りなのです)

ところがこれはちゃんとした手法であることがわかった。どんでん返し手法(デウス・エクス・マキナ)←絶対に覚えられない で、混乱の極みになった時にすべてを解決する神さまがひょっこり登場する。獅子頭の彫師である桃六はまさにそうだ。
魔界の姫君と人間の男が目を潰されて悲嘆に暮れているときに、「おや、それはお困りでしょう。はいはいすぐに直しますからねー」というノリは凄い。

プログラムの表紙をお描きになったのは横尾忠則さん。

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by laladuets | 2014-04-27 00:00 | 観劇


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