リア (座1・高円寺)
座・高円寺レパートリー『リア』 2014年上演
原作:ウィリアム・シェイクスピア
翻訳:小田島雄志
構成・演出:佐藤信
構成協力:生田萬
公演期間:2014年5月31日から6月8日まで
<出演>
リア王:渡辺美佐子
影・三人の娘たち:植本潤
道化師:田中壮太郎
<物語、公演チラシより>
風よ 吹け!雨よ 降れ!火よ 走れ!
嵐の夜。荒野。リアが登場する。物語の中の王の衣装。
汚れ、ほころび、すりきれ、今では乞食がまとう襤褸(ぼろ)のようなありさま。
野草を編んだ冠をかぶり、ひもで縛った大きな包みをずるずると引きずっている。
まるで死体をどこかに埋めようと彷徨ってでもいるかのように……。
6月6日(金)の夜公演を観劇。
梅雨入り翌日の大雨の中をはせ参じた、私とほぼ地元民の友人。
劇場に入ってみたら、1列目のそれも中央に近い席。自分で入手しておきながら「やや!1列目なのか?」と動揺した。
見終わっての感想は「やはり1列目はいいなぁ」
このところ、天井桟敷やら、前の人の座高がやたら気になる席が多かったから、久し振りに無心に舞台に見入った。
2013年、つまり去年が初演で今回は再演である。
しかし自分は去年は上演を知らなかったため、まっさらの観劇である。三人の出演者の配役も知らないままで観劇に突入しました。
リア王は「王と三人の娘の話」と「王の重臣グロスターと二人の息子の話」の二つが交互に語られ(登場する)脚本であるが、『リア』はグロスターの部分は全面カットする演出だった。
ここは予想通り。「2幕」プラス「幕間劇」の構成(実際には幕はない)。
<1幕目>
リア(渡辺美佐子)が末娘のコーデリアの死体らしき包みを引きずって荒野を彷徨うシーンから始まる。道化師(田中壮太郎)が登場し、おっさん、おっさんと呼びかけながらリアに付きまとう。リアは冠から飾り(多分、草の茎)を引き抜いて道化師に支払い、彼を家来として雇う。
ここでリアが荒野を彷徨うことになった経緯が語られる。
黒い衣装を纏った影(植本潤)が暗闇から登場し、リアが家督を譲る者を選ぶ場面の三人の娘(ゴネリル、リーガン、コーデリア)を演じ分けた。
1幕目はオーソドックスな仕立てに感じた。渡辺美佐子が演ずるリアは「男役」である。肩の力が抜けた、無駄に荒ぶらないリア王。その抜け感が気持ちがいい。影はダースベーダーのように恐ろしさを感じさせるが、頭巾を脱ぐと、つるつる頭にカールしたつけまつ毛が愛らしい。オカマ演技になりそうでならないギリギリの線だった。
<幕間劇>
影と道化師の二人芝居。
素に近い、演者としての影と道化師がトークしているように見えた。この幕間劇はリアの演者(渡辺さん)がひと息つくためにも必要だろうし、2幕目への心の準備期間でもある。
<2幕目>
実は、2幕目からは演目が「リア王」であることを忘れて魅入っていたワタクシであります。
裏切っても、裏切らなくても、三人の娘たちへの愛が深いことを感じさせる老いたる人。1幕目よりもずっと子供に還っていて、あどけなさが溢れていた。
その老人を目の前にして、影と道化師が交わすことばは、雰囲気は和やかなのにとても難解だった。(グロスター、エドガー、エドマンド等のセリフも混じっているのではないかと思う)
リアが冒頭から引きずっていた袋を開けると、屑や襤褸の中に手作り感満載の女の子の人形が入っていて、リアはコーデリア!と呼びながら抱きしめる。その姿からは王らしさは消えていて、悲しみよりも静かな幸福感を漂わせていた。
----------
楽しく面白く観劇しました。
こうやって感想を書いてみると、2幕目がちっとも分かっていない自分に気づいて呆然としました。 呆けてしまったのだろうか、とても心配です。
しかも、なんと来年の5月に上演(再々演)が決っているという。
来年も観たい、ぜひとも観たい、2幕目が理解できるようにしなければ。
原作:ウィリアム・シェイクスピア
翻訳:小田島雄志
構成・演出:佐藤信
構成協力:生田萬
公演期間:2014年5月31日から6月8日まで
<出演>
リア王:渡辺美佐子
影・三人の娘たち:植本潤
道化師:田中壮太郎
<物語、公演チラシより>
風よ 吹け!雨よ 降れ!火よ 走れ!
嵐の夜。荒野。リアが登場する。物語の中の王の衣装。
汚れ、ほころび、すりきれ、今では乞食がまとう襤褸(ぼろ)のようなありさま。
野草を編んだ冠をかぶり、ひもで縛った大きな包みをずるずると引きずっている。
まるで死体をどこかに埋めようと彷徨ってでもいるかのように……。
6月6日(金)の夜公演を観劇。
梅雨入り翌日の大雨の中をはせ参じた、私とほぼ地元民の友人。
劇場に入ってみたら、1列目のそれも中央に近い席。自分で入手しておきながら「やや!1列目なのか?」と動揺した。
見終わっての感想は「やはり1列目はいいなぁ」
このところ、天井桟敷やら、前の人の座高がやたら気になる席が多かったから、久し振りに無心に舞台に見入った。
2013年、つまり去年が初演で今回は再演である。
しかし自分は去年は上演を知らなかったため、まっさらの観劇である。三人の出演者の配役も知らないままで観劇に突入しました。
リア王は「王と三人の娘の話」と「王の重臣グロスターと二人の息子の話」の二つが交互に語られ(登場する)脚本であるが、『リア』はグロスターの部分は全面カットする演出だった。
ここは予想通り。「2幕」プラス「幕間劇」の構成(実際には幕はない)。
<1幕目>
リア(渡辺美佐子)が末娘のコーデリアの死体らしき包みを引きずって荒野を彷徨うシーンから始まる。道化師(田中壮太郎)が登場し、おっさん、おっさんと呼びかけながらリアに付きまとう。リアは冠から飾り(多分、草の茎)を引き抜いて道化師に支払い、彼を家来として雇う。
ここでリアが荒野を彷徨うことになった経緯が語られる。
黒い衣装を纏った影(植本潤)が暗闇から登場し、リアが家督を譲る者を選ぶ場面の三人の娘(ゴネリル、リーガン、コーデリア)を演じ分けた。
1幕目はオーソドックスな仕立てに感じた。渡辺美佐子が演ずるリアは「男役」である。肩の力が抜けた、無駄に荒ぶらないリア王。その抜け感が気持ちがいい。影はダースベーダーのように恐ろしさを感じさせるが、頭巾を脱ぐと、つるつる頭にカールしたつけまつ毛が愛らしい。オカマ演技になりそうでならないギリギリの線だった。
<幕間劇>
影と道化師の二人芝居。
素に近い、演者としての影と道化師がトークしているように見えた。この幕間劇はリアの演者(渡辺さん)がひと息つくためにも必要だろうし、2幕目への心の準備期間でもある。
<2幕目>
実は、2幕目からは演目が「リア王」であることを忘れて魅入っていたワタクシであります。
裏切っても、裏切らなくても、三人の娘たちへの愛が深いことを感じさせる老いたる人。1幕目よりもずっと子供に還っていて、あどけなさが溢れていた。
その老人を目の前にして、影と道化師が交わすことばは、雰囲気は和やかなのにとても難解だった。(グロスター、エドガー、エドマンド等のセリフも混じっているのではないかと思う)
リアが冒頭から引きずっていた袋を開けると、屑や襤褸の中に手作り感満載の女の子の人形が入っていて、リアはコーデリア!と呼びながら抱きしめる。その姿からは王らしさは消えていて、悲しみよりも静かな幸福感を漂わせていた。
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楽しく面白く観劇しました。
こうやって感想を書いてみると、2幕目がちっとも分かっていない自分に気づいて呆然としました。 呆けてしまったのだろうか、とても心配です。
しかも、なんと来年の5月に上演(再々演)が決っているという。
来年も観たい、ぜひとも観たい、2幕目が理解できるようにしなければ。
by laladuets
| 2014-06-09 02:07
| 観劇